私の中にあるもの 22

私はこれまで自身を性欲の強い人間だと感じたことはなく、むしろ淡泊な方だと思っていた。
セックスに関しても、相手の感覚に照準を合わせるものと思っていたから、自分の快楽を考えたことはなかった。
男の人は前戯とか後始末とかを面倒がるものだという認識していたが、そんな風に私が考えるようになったのは、裕二の前につきあっていた彼氏との関係にあったのだと思う。その人とは裕二と出会ったことにより私の方から別れを告げたのだが、ほぼ2年間関係があったうちの後半1年間は、私の口で射精することがほとんどになってしまっていた。それに対して疑問はなかった。私が彼を導いているのだという事実は私を満足させたし、彼は私の口技に慣れきってしまっていた。
「お前の口は最高。」
彼は私の口内に精液を吐き出した後、よくそう言っていた。
裕二と初めて抱き合ったときも、私はためらわずに裕二の物を口に含んだ。裕二は驚いて困惑していたが、興奮していたのか口と手であっという間に射精してしまい、その後は違う意味での困惑で私に謝り始めた。
謝る必要などないのにと思う自分と裕二の間に感じた違和感を消したくて、私は謝罪の言葉を発する裕二の口を自分の唇で塞いだ。
裕二には何もせずにただ感じてもらえれれば、それだけでよかった。
それまでの経験で刷り込まれた体の反応と意識は変わることもなく、裕二を感じさせていることが嬉しくて自然とそうしてしまった。それは彼のための食事を用意したり、彼の衣服を洗濯したり、日々の生活で無意識に彼のためにしていることとそんなに変わりがなかった。
人の種類として大別するならきっと、私は尽くしたい人間なのだろう。
そのことは友人にもよく指摘されていたし、先日も職場で宏美に近いことを言われたばかりだ。それを指摘される度にすごいねと感心され、驚嘆されるのだが、自分の中では特別な努力をしている訳ではなく、相手のためになることがたまたま自分の得意分野だったというだけだった。
それに相手のためとはいえ、それが同時に自分のためでもあることを私は自覚していた。
相手に好ましい環境を与えられるということが私と一緒にいることの価値になる。私が満たすことのできる彼らの欲求の種類が多ければ多いほど、きっと私から離れていかないはずだという目論みが、普段なら気づきもしない思考の奥底に潜んでいることを、いつからか自覚していた。
ただ純粋に相手のために、と自信を持って言い切ることができないくらいに、私も子供ではなくなっていたし、それを別段悪いことだとは思っていなかった。
寧ろ当然のことだと思っている。
セックスについても同じ。
裕二を繋ぎ止めておくための手段として、私は自分の口と指と膣を自分ができる最大限に活用していた。
実際のところ、私は裕二とキスして抱き合うだけで十分満たされていたけど、裕二が違うものを望んでいるなら与えてあげたいし、自分のためにもそうせずにはいられないのだ。

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