私の中にあるもの 31

パスタパンを強火にかけると、下げてきたグラスや食器を洗い始めた。リビングとキッチンの間には開き戸があったが、部屋を広く使うために入居時から取っ払ってあり、蛇口からの水音に消されることなく3人の話し声やテレビの音声が耳に入ってきた。宏美が持って行った缶の中にCMされている新発売のチューハイがあったらしく、そのCMを唯一見たことのあるらしい宏美が一生懸命にその内容を説明していた。
『夜も尽くしてくれるって』
夜とはやはりセックスのことなんだろうな。女同士でデートの内容を逐一報告し合うような感覚で、男同士はそういう話をするのだろうと想像することに違和感はなかったが、顔を合わす機会のある人にそうした秘め事が知られていると思うと頬が熱くなってくる。
鍋底からごぼごぼと大きな気泡が次々に出てきているのを確認してから、乾麺を一気に回し入れ、
タイマーをセットする。
裕二はどのようなことを高瀬に話しているのだろう。彼の性格からして事実を脚色した大袈裟な話が流布される心配はなかったが、夜に尽くしているという具体的な内容も伝わっているのかどうか。
菜箸を手に少しずつたわんでいく麺をかき混ぜながら、本人に聞くしか判明する方法がないと分かっている疑問を意義はないと自覚しながらも目の前の麺のように思考の中で混ぜ返していた。

できあがったパスタと取り皿、カラトリーを手に宴の場に戻った。
「ボンゴレ・ロッソです。」
香ばしいニンニクと酸味ばしったトマトの匂いに3人とも身を乗り出して、歓声を上げた。
取り分けくらいはしますと宏美が赤いパスタをトングで器用に載せていくのを見守っていると高瀬が尋ねた。
「ボンゴレ・ロッソって?」
「アサリ入りのトマトソースのパスタ。トマトが入ってなければボンゴレ・ビアンゴなんですよね?」
宏美が即答しながら、内容を私に確認してきたので、「ピンポンピンポン!」とクイズ番組で回答が正解であることを知らせるチャイムの真似をしてみた。私も料理で中断しながらも意外と飲んでしまってるかもしれない。
「宏美ちゃんも詳しいね。」
と、裕二が感心したように言った。
「こいつのは店で食べる時にサーチしてるだけだよ。」
「うーわっひど!まあそのとおりですけど。」
宏美と高瀬の掛け合いはその場を明るくする。対照的に裕二と私はあまり喋らないから自然と二人の話を聞いていることになるが、それが自然で肩も凝らず、頻回に集う機会はなかったが、4人で会うのは楽しかった。盛り上げ役の二人は私達がいないところでどのように過ごしているのか、知る由もないのだが、始終この賑やかさが保たれているわけではないことは想像に難くなかった。
でも二人きりになりたくないような歪な空気は全く感じられず、先日の宏美の言葉は私が過剰に捉えてしまっただけで、深い意味はなかったのかもしれない。
テーブルの上に並んだ大皿に盛りつけられていたはずの結構な量の食べ物は殆ど食べ尽くされていて、新たに登場したパスタも気持ちいい勢いでなくなっていく。これならデザートも不要にはならないなと安心する。
アルコール類も着実に空けられていく。机の上には数本の缶が林立しているが、どれに入っているのか分からない状態だ。裕二の掴んだ缶は空だったらしく「ないや。」と呟いて別の缶からピンクのカクテルがグラスに注がれる。
その声が掠れているのに気付き、彼の顔を見ると随分酔いの回ったような焦点のぼけ具合になっていた。
さっきまで照れくさくてなるべく裕二と目が合わないようにしていたから、その変化に気付くのが遅くなってしまった。高瀬も宏美も裕二がお酒に強くないことは十分知っているから必要以上に勧めることはないのだが、今はめずらしく自分で次々と注いでいるようだった。
「だいじょうぶ?」
顔を寄せて小声で聞く。高瀬と宏美はちょうどテレビでしているマジックに夢中でこちらを気にしていない。
「なーにが?」
ワンテンポ遅れてこちらを向いた裕二は潤んだ目で私の目をぼんやり眺める。疲れているから余計にアルコールが回ってしまっているのかもしれない。
「お酒だよ。」
ちょっと強めに言うと、普段は見せないような薄ら笑いを浮かべてソファーにもたれていた上体を起こしてくると突然私の肩を掴んで引き寄せた。
「理絵ちゃんは心配性だねえ。」
予想外の反応に硬直していると頬にぬちゃっと柔らかい物が押しつけられた。
その感触が裕二の唇であることに思い当たるまでにしばらく間が空くほど、裕二のその行動は常とはあまりにもかけ離れていた。

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