優しい手 5

雲の覆った空はさっきから同じような色で、時間の経過が分かりづらかったが、心なしか少し薄暗くなってきたようだ。携帯を開いて時間を確認すると17:34だった。
「何時?」
俊介が横から覗き込んできたので、5時半、と答えて画面を見せた。
「明日、雨っぽいね。」
携帯を鞄に戻してから空を見上げる。
「んー週間天気予報どおりならね。」
帰ろうかと俊介が言わなかったことにほっとしている自分がいる。いつまでもここにいられる訳ではないし、後少しで別れなければならないのは分かっているが、少しでもこの時間を引き延ばしたい。
「雨だったらやだなあ。」
午前中は晴れていた空も5時間目が終わった頃から雲が広がり始め、今は空全体を灰色の雲が覆っていた。
「雨の日も自転車で来てるの?」
「雨の程度によるかな、小雨なら傘さし。ひどけりゃ徒歩。」
もし明日雨が降っても一緒に帰れるのだろうか。傘をさして自転車を押すのは結構大変そうだ。徒歩なら問題ないか・・・。
さよならを言う前に明日の約束をしておきたい。初日と二日目は特に約束もしてなかったが、放課後いつものメンバーで少し話をしているうちに、それとなく周りも気を使ってくれたのか、自然と二人で帰ることになっていた。だから今日、HRが終わった後すぐに俊介が自分の所へやって来たときは驚いた。そして本当に嬉しかった。俊介が唯菜と帰ることを当たり前だと思ってくれていることが分かって、やっぱり私たちはつき合っているんだと自信になった。ただ、すぐ後でその自信もべっしゃり押しつぶされてしまうようなアクシデントに見舞われたけど。
でも今は、週末の約束が結ばれた段階で完全に立ち直っている。
それから二人は公園を出て再び帰路に付いた。交通量の多くなった道路の歩道を他愛のない話をしながら歩いていく。唯菜の鞄はまた俊介の自転車のかごに収まっていた。

明日雨が降っても一緒に帰れる?

そんな簡単な一言がどうしても言い出せない。公園から、俊介と一緒に帰るとき限定で利用するバス停まではすぐだったが、バスが来るまでの10分位の間、俊介は帰らずに待っていてくれた。
つきあう前から俊介と唯菜の間で話題が途切れることは殆どなかったが、つきあい始めて二人きりになってもそれは変わらなかった。どうでもいい話、くだらない話、ネタは次々と展開されて、当初の話が何だったのか忘れてしまうほど、内容はめまぐるしく変わっていった。そんな会話の隙に明日の帰りのことを切り出そうと機会を狙っているのだが、会話が途切れない分、それは難しかったし、何より俊介との会話は楽しくて、その目論みはすぐに頭の隅に追いやられてしまい、バスが視界の端に入ってきたときにはすっかり目的を忘れてしまっていた。
「あっ、きた。」
唯菜は車道との境ぎりぎりの所に進み出て手をあげて、バスに乗ることを表示した。このバス停は他の路線のバスも通るため、乗車意志をアピールしないとそのまま通過してしまうことがあるのだ。
手を上げながら、自転車にまたがっている俊介を振り返った。
「あした、雨降っても帰れる?」
バスのエンジン音に掻き消されないようにと意識しすぎたせいで必要以上に大きな声になってしまった。俊介はその声の大きさに驚いたのか一瞬空白の表情になったが、すぐに目が細くなった。
「いけるよ。」
唯菜は懸案だった約束をちゃんと取り付けられたことに安堵して自然と表情が緩んでいた。
プシュー、ガコン、と入り口の扉が弾むように開く。
「じゃね。」
手を振ると俊介は「おー。」と返して、軽く手を上げた。唯菜は入り口の階段を駆け上がりながら、自分の後ろ姿に向けられているであろう俊介の視線を意識していた。運転手に定期を見せて通路を進みながら窓から俊介を見下ろすと、俊介と目が合う。別れ際にようやく出せた一言に費やした緊張のせいで忘れかけていた離れていくことへの寂しさが急に募ってきた。唯菜が手を振ると俊介ももう一度手を上げて見せてくれた。車内はサラリーマンやOLの帰宅ラッシュでかなり込み合っていた。このバス停の乗客は唯菜だけだったために、バスはすぐに発進した。あっという間に窓枠の中の風景からバス停の標識と俊介は消え去ってしまった。
目の前から消えたものを補うために、唯菜はさっきまでの会話をトレースしていく。
混雑したバスの車内だというのに、思わず顔がにやけそうになるのを落ち着けながら、唯菜は思っていた。
今日もきっと、ううん、絶対、勉強に集中できないや。
更に薄暗くなった窓の外は、街頭の明かりが柔らかく滲んだまま、次々に流れていった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック