優しい手 6

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一緒に勉強が出来る場所と言われて、市立図書館を指定したのは唯菜だったが、ちょっと場違いだったかと少し後悔し始めていた。
お互いに全くの自習をするだけなら、それでよかったのかもしれないが、勉強を教えるという目的がある場合、ずっと黙っているわけにもいかず、よく通る俊介の声が、「あっそっか!」とか「なーるほどね!」とか彼が感心するたびに響き、周囲の視線がちくちくと痛かった。それには俊介も気が付いているものの、問題を解くのに集中し始めると、唯菜はずっと声を潜めて喋っているのにも関わらず、彼は通常どおりのボリュームの声を出てしまい、しまったと申し訳なさそうに周りを窺うことを繰り返していた。

図書館はお互いの家のほぼ中間にあった。市役所や駅のある中心街にあり、今日は唯菜も自転車でここまでやって来ていた。
土曜日の朝10時に現地集合。
これは前の日の帰り道に相談して決めた。俊介は始め、図書館の開館時間の朝9時に集合、と言ったのだが、休日の朝は昼近くまで寝てしまう唯菜は慌ててせめて10時にして、と頼んだのだ。てっきり午後からになると思っていた唯菜は朝からという発想に驚いたが、それだけ、俊介と長くいられるということだと気付いて、なら9時に間に合うように頑張って起きるべきだと思ったときはもうバスに乗った後だった。自分が言い出したことをわざわざメールで撤回できなかった。
だが、今日になって、10時にしておいてよかったと安堵することになった。
昨夜は、何を着ていくかで迷いに迷って部屋の鏡の前でファッションショーを繰り広げ、12時を過ぎてベッドに入ってからも、その日の寄り道でまた新たに知った俊介情報を思い返しつつ、翌朝(性格には本日)のシミュレーション(妄想?)に明け暮れて実際に眠ったのは3時を過ぎていた。
翌朝7時に合わせた目覚ましを止めてから二度寝してしまい、きちんと起きたのは9時だった。それでも自然に目が覚めた自分を誉めてあげたいほどの唯菜だったが、平日と変わらないくらいの猛烈な勢いで簡単な用意を済ませ、必死に自転車をこいで、どうにか約束の時間に間に合ったのだ。
英語の問題集から目をあげて向かい合って座っている俊介を盗み見た。長文読解の問題文を読んでいるらしい。右手で持ったシャーペンを器用にクルリと一回転させる。何の意識も向けられていないのに、落下することなく回転するシャーペン。日焼けしてゴツゴツした指。唯菜の指よりずっと節張っているのに、どうしてあんなに器用にシャーペンを回せるんだろう?
俊介が癖でやっているシャーペン回しは中学校の時に流行った。唯菜も少し練習してみたが、うまくいかずにすぐに断念した。女の子でやる子は少ないけど、中学校から仲のよい美咲は上手に回してみせる。
唯菜は視線を俊介の手から問題集に戻した。さっきからあんまり進んでいない。自分の前に座る人の存在が気になって、とてもでないが、問題に集中できなかった。全ての意識は俊介に向けられていたが、そうとは知れないように、そっと目だけを動かして俊介の素行を確認する以外は問題集を眺めていた。
一つの空欄に単語を埋めてから、顔のうつむき具合はそのままにして上目で俊介を見た。
俊介もこっちを見ていた。息が詰まりそうになる。
「で、きた?」
「だめ、意味わからない。」
俊介は大きく息を吐いて両手で頭を抱えた。教科書と同じ文だよと言うと決まり悪そうにしてまずいなと呟く。
プリントを指さしてこの文が分からないと俊介が顔を寄せてきた。
近い!
確実に心拍数が上がっているのが分かる。一緒に帰るときはたいがい隣にいて、距離が今より近くても顔を見ないからこんなに緊張しないですんでいるが、今は平静を装えているか自信がなかった。
唯菜は意識しない、意識しないと心で唱えながら、俊介の指さす文章にある連語の説明をした。
長文問題を全部終えると、俊介は疲れた、と体を伸ばしながら小声で言った。本当なら大きな声であーあとやりたいところを抑えているんだろうなと思うと可笑しくなる。
「腹すかね?」
また俊介の顔がこちらに寄ってくる。唯菜はつい出そうになる叫び声を押しとどめて、カウンターに飾られている時計を見た。正午まであと10分。
「ご飯食べにいく?」
「そうしよ!お約束通りおごるよ。」

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