優しい手 11

一度眠ったせいか、それともさっきの右手の感触のせいか、頭の中の霞は取れて鮮明になっていた。
俊介は英語より数学の方が得意らしく、ポイントを伝授すると、引っかかっていた問題はほとんど解けるようになった。
「井上の教え方って分かりやすいな。」
「そーお?家庭教師のバイトしてるからかな。相手は中2だけど。」
「親戚だっけ。井上の親戚なら頭良さそうだな。」
「親戚ってのは関係ないと思うけど。まあ今のままならうちの高校は余裕だから、レベル上げてN高挑戦するみたい。」
ふーんと俊介は例のシャーペン回しを続けながら、プリントから目を上げた。唯菜の目線と絡まる。
「なんで、特別クラス希望しないの?井上なら希望したら入れるだろ。」
急な話題に唯菜はいくぶん戸惑った。
「んー、特別クラスの雰囲気に馴染めなさそうでしょ。仲いい子いないし。」
「あー藤山もそんなこと言ってたな。じゃあ高校は?N高合格圏内だったのに受けなかったよな。」
俊介が中学時代の唯菜の成績を知っていたことに驚いたが、当時の担任の教師に執拗にN高受験を勧められていたからその現場を見られたのかもしれないと思い当たった。
「私立は無理だったのよ。それに勉強はどこにいてもできるかなーって。自覚の問題。」
「何気にかっこいいね。」
からかいではなく本気で褒めているような俊介に、ちょっと後ろめたくなった。勉強についてはある程度の環境があればあとはやる気の問題だと考えているのは事実だったが、高校受験時に今の高校に決めたのも、学年が上がる時に特別クラスを希望しなかったのも、少しでも俊介の近くにいたかったから。
でも本当の理由を俊介には言えない。唯菜の気持ちを俊介に知られたら、友達から少し前進したような今の関係が壊れてしまいそうな気がする。ずっと唯菜が抱え持っている想いは俊介にとって決して快いものではないだろう。
唯菜の言葉が『彼女ほしいんなら私と付き合う?』ではなくて、『好きだから付き合って』というものであったなら、俊介はきっと尻込みしていたんじゃないだろうか。中学3年で同じクラスになった俊介を意識し始めてから3年近くもただひたすら隠し通してきた気持ちは、打ち明けることがなかった分、一度表に出してしまうと相手に畏怖感を抱かせそうだった。相手に違和感を抱かせないように、少しずつ少しずつ距離を縮めていく。それが唯菜の考えた俊介との関係の継続方法だった。
何より、急激に近づいたなら、自爆してしまいそうだもの・・・。
その時、ドアがノックされて、唯菜は我に返った。「俊、開けて」と俊介の母親の声が向こう側から聞こえた。大儀そうに立ち上がった俊介がドアを開けると、お盆を持った母親が部屋に入ってきた。
「休憩にどうぞ。オリーブっていうお店のケーキ。」
プリントや筆記用具を床に避けてあいたテーブルのスペースにレアチーズとザッハトルテ、コーヒーが二つ並べられる。
「ここのケーキおいしいですよね。」
「井上さんも行くんだ!」
唯菜と母親で盛り上がっているケーキの話に俊介は加わらず、コーヒーに添えられた砂糖とミルクを入れて一人で飲み始めた。
「勉強はすすんでるの?」
おすすめのケーキ屋を伝授しあったところで、俊介の母はDSに手を伸ばした俊介に向き直った。
「ばりばりすすんでるよ。なっ?」
俊介は唯菜の方を向いて話を振ってきた。
「ええ、そこそこは。」
歯切れの悪い返答になってしまった唯菜に、母親は満面の笑みを向けた。
「井上さんって藤山くんより成績いいって聞いて、期待してるから。」
任せてくださいとも言えずにはははと苦笑していた。俊介が、もういいだろ?と母親に退室を促したが、彼女は一向に気にする様子もなく唯菜の方に顔を寄せると小声で言った。
「やっぱり井上さんが彼女になったのねー。」
大抵のことでは顔色を変えない自信のあった唯菜だったが、思いも寄らない相手からの不意打ちに顔が熱くなった。唯菜の狼狽えぶりを確認すると、俊介の母はすぐさま「じゃあケーキ食べてねー」と朗らかに部屋を出て行った。

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