視線の向こう側 2

「どうぞ」
「あ、すみません。」
デザートの杏仁豆腐が並べられ始めた。再奥に位置する俺の分は隣の席の彼女が置いてくれた。
こちらのはやる気持ちとは逆に彼女の態度は最初とあまり変わらない。同じ年齢だと分かってからも敬語のままで、そうなると俺の方も、さすがに敬語ではなかったが、それ以上に態度を崩すことはできなかった。黙りがちな俺たち二人は、周りの砕けた雰囲気の中では明らかに浮いていた。
救いは、彼女の態度が俺だけではなく、原田や他の男に対しても堅かったことだ。
彼女は話しかけられたときに答えるだけだった。それ以外は周りの話を笑顔で聞いていたが、自分から話しに入ろうとはしなかった。
杏仁豆腐を食べている彼女の向こう側に見える男はさっきからずっと背中をみせたままだった。途中から全く彼女には話しかけていない。俺がその隙を作らなかったせいもあるが。
小さなスプーンで少しずつ白いゼリーをすくって口に運ぶ様はとても上品だったにも関わらず、傍で見ていると、ちょっとまずい気分になるほど扇情的でもあった。多分それは彼女の側ではなく、そういう目で見てしまう俺に問題があるんだろう。
芽生えたやましい気持ちを振り払うように、杏仁豆腐の器に手を伸ばした。
ふと見ると彼女のグラスは残り少なくなっていた。
「山川さん、もう飲み物ないけど。次なんか頼まない?」
手にしたガラス食器から俺の方に視線を移した彼女はどうしようかな、と呟いた。俺が壁際に立てられたメニューを差し出すとすみませんと受け取って飲み物の箇所を真剣に見始めた。
彼女は食べ終えるのにずいぶんかかった杏仁豆腐を俺は2口で食べ終えた。
「きまった?」
「うーん、まだ悩み中です。」
彼女はちらっと俺を見て肩をすくめた。微かだが唇の端があがった。彼女の悪戯っぽい微笑みに俺は打ち抜かれてしまっていた。朝の遭遇は出勤途上ということもあって、彼女はいつも無表情にひたすら正面を見て歩いているし、今夜もさっきまでは、接客用のお手本のような笑顔とたまに見せる困惑した顔ばかりだった。
終始変わらない笑みを浮かべている様子はなんだか時々ニュースで写される皇族を連想させるもので、それはそれでいいのだが、どうしても近寄りがたさを感じた。俺がしつこく話しかけていると時々それが崩れた。でもそれは一瞬で、しかもいつも困ってばかりいたから、今のような子供っぽい表情を目にすると少しばかり下がりかけていたテンションがまたぐんと上がってきた。
「けっこう飲むほう?」
彼女がさっきまで飲んでいたジョッキは確か3杯目。
「どうなんでしょう?ここに来ているメンバーの中では強い方かも。」
確かに女性陣でビールを飲んでいるのは彼女だけだった。みんな色鮮やかなチューハイや軽めのカクテルを頼んでいたが、それさえも今では殆ど手が付けられずに氷が溶けて薄まっていた。
俺は残り少なくなったビールを一気に飲んでしまった。
「中江さんも頼みます?」
彼女が広げたメニューをこちらに寄せてきた。俺は1軒目ではビールしか飲まないのだが、考えるフリをして彼女と一緒にメニューを覗き込んだ。自然と近づいて、俺の目はメニューではなく、彼女の横顔を見下ろしていた。当たり前なのだが座っていても彼女は小さかった。
「なに迷ってるの?」
「ワインと梅酒どちらにしようかなあと思って。もうお腹いっぱいで、炭酸は無理っぽいんですよね。」
「いつもビールが主?」
「そうですねー。あんまり女の子らしくないですけど。中江さんもビール派ですか?」
「うん、1軒目はビールばっかかな。ということで次もビールにするよ。」
彼女はちょっと眉をしかめてうーんと唸ってから、にこっと笑った。
「じゃ、私はワインで。」
ようやく、彼女の表情が緩み始めたのを見て、俺は俄然やる気になっていた。
「そうそう、同い年なんだし、敬語はやめようよ。」
「初対面の人だと、年齢に関係なくつい敬語になってしまうんですよね。」
彼女は苦笑した。
「いや、俺たちずっと毎朝会ってたから、初対面じゃないよ。」
「あ、そうかも。」
ふふふと笑って俺を見た彼女に、かなりの勇気を持って口にした言葉がすんなり受け入れられたことに安堵していた。
話を盛り上げて、なんとか山川さんとの今後を考えられるような位置関係になりたい。最低でもメルアドの交換くらいはしなくては。
食べるものもなくなり、隣も正面も自分たちの世界に入っている中で、俺たちはもう二人で顔を付き合わせるしかない。それは、俺にとっては願ってもない状況だったわけで、仕事での失敗やら、学生時代の話やら、まず長い沈黙を作らないように、そして俺だけではなくなるべく彼女にも喋ってもらえるように、ありとあらゆる話題を捻り出していた。
彼女も、ただ相づちを打つだけではなく、興味のわいたことに質問を投げかけてきたり、鈴の鳴るような笑い声を上げたり、二人の会話は俺の目指す方向へ、そして彼女の敬語もすっかりなくなっていた。
ふと口寂しさを感じて、テーブルの上と男どもを見た。店に入ってからまだ1本も煙草を吸っていなかった。
アルコールが入っているのに、思い出しもしないなんて、俺、よっぽど舞い上がってるよな。
心の中で苦笑する。
喫煙仲間の誰も吸っている様子がなかった。というより、灰皿が見当たらないから、ここは禁煙席なのかもしれない。
「たばこ?」
彼女が俺の顔を覗き込んで尋ねた。
なんで分かったんだろう?俺たばこのこと言ったっけ?
煙草のケースを取り出したわけでもなく、灰皿を寄せたわけでもなく、ただちょっと周りを見渡しただけなのに、彼女は俺の考えたことを推察した。すごい洞察力。
驚いていると、彼女はあっさり種明かしをした。
「中江さん、毎朝、自転車に乗ったまま煙草吸ってるでしょ?」
「あ、なるほどね。」
そうだった。社屋は禁煙で、仕事中の喫煙は外に出なければならず、あまり時間もとれない。自然と通勤時間帯が俺の喫煙タイムになっていた。部屋を出て一番初めに引っかかった信号を待つ間に煙草に火を付けると、だいたい着く頃はフィルターぎりぎりまで灰になっていた。
ちょうど通勤路の中間辺りに位置する県庁前の交差点ならたぶん煙草を手にしているだろう。彼女が見る俺はいつも煙草を吸っていることになるのだ。
「灰皿、あそこにあるから、取ってもらう?」
彼女の指さす先、長テーブルの中央に、箸置きやメニューに隠れるように灰皿らしきものが見えた。
「いや、いいよ。そこまでヘビースモーカーじゃない。」
「そうなの?」
「うん、職場じゃほとんど吸わないし。我慢しようと思えば3時間くらいは平気だよ。」
「あーそうなんだ。」
なんとなく彼女は煙草を好んでなさそうだな、と感じたので、俺はさりげなく自分が忌み嫌う対象じゃないことをアピールしてみたのだが、彼女は目線を落としてしまった。しばらく逡巡しているようだったが、すっと顔をこちらに向けた。
「それならね、朝も我慢できない?あっ、吸わないでって言うんじゃなくてね、あの、自転車乗ったまま吸うのはやめた方がいいかなあなんて。」
ポイ捨てがいけないってことなんだろうか。
「携帯灰皿は持ってるけど。」
「あっそういうことではなくて、あの、自転車乗ったり、歩きながらで煙草持っていると、危ない、と思うの・・」
彼女は次第に俯き気味になって声も小さくなっていった。
あぶないって?
俺は彼女の言葉を頭で反芻してから、ようやく意図を理解した。
「たしかに、危ないよな。」
彼女は俯いたまま俺の言葉には反応しなかった。
まずい、怒ったように見えたか?
「俺、気付かなかったよ。ありがと、山川さん。」
できるだけ和やかな声で彼女に話しかける。やっと彼女から発される雰囲気が柔らかくなっていたのに。
「いいえ、私こそ、なんか出過ぎたこと言っちゃって、ごめんなさい。」
彼女は俺の方を向いてにっこりと文字通り笑顔になったが、もうさっきまで垣間見えていた無邪気さは跡形もなくなっていた。差し障りのない話題を探す。新しく台風が発生した話や着メロダウンロードで話題になっている歌のこと、今利用しているお店のこと。どんな話に対しても、彼女は当たり障りのない相づちを打っていて口角は終始あがっていたが、もう白い歯が見えるような笑顔はなかった。
山川さんとの間にはまた初めの時のように壁ができてしまっていた。
俺の努力も空しく、一次会はそのままお開きとなってしまった。アドレスどころか下の名前も聞けなかった。
原田が会計を済ませている間、席を立った一行はバラバラと店の出口へ流れていった。山川さんがトイレの方へ向かったのを確認し、少し時間を置いて自分もそっちへ行く。すると、トイレの入り口で友達と喋っている山川さんが見えた。近づくと二人とも俺に気が付いた。
「中江さんは次のカラオケ行きますよね。」
友達の方に尋ねられる。よく考えてみると俺は、山川さん以外の女の子の名前誰も知らないままだった。
「うん、行くよ。」
ほんとは山川さんが行くかどうかを確認したかったのだが、トイレの前という微妙な場所と、彼女一人ではないことに阻まれて、俺はそのままトイレの扉を開けた。


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